セア倒立に思う(その2)

Thinking about Scissor to Handstand on PH (Part2)


前回の最後で、セア倒立において向きを変えれば必ずしも交差が成立するわけではないと書きました。そもそも「交差」の定義とは何でしょうか。「交差ひねり」とはどういうことなんでしょうか。



「交差」は一般に片足振動で脚部を入れ換える運動と認識されていますが、これを「支持部に対する脚部の入れ換え」と考えると不都合があるため、「馬体に対する脚部の入れ換え」であると考えられています(2)(3)

何を言っているのか分からないと思うので、もう少し易しく説明します。「支持部に対する脚部の入れ換え」とは、支持部(上半身)から見て、前に出ている足を変えることで、交差といえばこう理解されている方が多いのではないかと思います。

一方、「馬体に対する脚部の入れ換え」とは、ちょっと説明しにくいですが、馬体を縦向きに見て、脚部(下半身)全体の向きを変えること。あん馬をまさに馬に見立てて、腰が馬首を向いているか馬尾を向いているか、と考えると分かりやすいでしょうか。

図で表すとこんな感じになりますが、これだとどちらの考え方でも正交差が成立しており、いったい何の不都合があるのかと思われるかもしれません。確かにひねりのない交差であればどちらで考えても違いはありません。しかし、ひねりが加わると左図の考え方では交差を説明しきれなくなるのです。

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難度表の交差ひねりを見てみましょう。難度表にはA難度の正交差ひねり正交差入れ逆交差ひねり逆交差入れ、B難度の正交差ひねり逆交差入れ逆交差ひねり正交差入れという4つの技が掲載されています。

A難度の交差ひねりでは、ひねり局面で正面支持になるものと背面支持になるものの2つの図があり、合わせて4とおりの実施があることになりますが、いずれも支持部から見て前に出ている足は変わっていません。一方、馬体に対する腰の向きはちゃんと変わっています。つまり、A難度の交差ひねりは、ひねることによって「馬体に対する脚部の入れ換え」が起こる技であり、交差を「支持部に対する脚部の入れ換え」と考えると説明ができません。

20170317_02.png

B難度の交差ひねりでは、前に出ている足が変わっています。腰の向きは一見変わっていないように見えるかもしれませんが、そうではなく2回変わっています。ひねることによって起こる「脚部の入れ換え」に、さらに「脚部の入れ換え」を複合させているのです。交差が2回成立しており、ゆえにB難度の技たりえているとも言えるでしょう[2]

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[2] 交差を厳密にとらえ、交差ひねりにおいても「支持部に対する脚部の入れ換え」を必須とする意見も存在します(4)。この場合は交差ひねりについてはB難度のもののみが認められるということになります。


さらに、下の図のような実施を考えてみましょう。いずれも馬体に対する腰の向きが変わっていないため、交差とは認められず、難度表にもこのような技は載っていません。しかし、前に出ている足は変わっており、ここからも、交差を「支持部に対する脚部の入れ換え」と考えると説明できなくなることが分かります。

20170317_04.png

なお、この交差の定義から、A難度の「正交差ひねり正交差入れ」のような表記は適当ではないことが分かります。FIG版Code of Pointsの英語表記は”Scissor forward with 1/2 t.”となっており、日本語でもただの「正交差ひねり」でいいように思います。B難度の「正交差ひねり逆交差入れ」は交差が複合されているので問題ありません。英語表記も”Double Scissor fwd.”です。



話をセア倒立に戻します。セア倒立は、(正面支持を経過する)交差ひねりが発展した技であり、その要件に支持部の向きを変える(手を換える)ことが加わるのは妥当なことだと思います。しかし、向きを変えることと交差の成立がイコールではないこと、捌き方によって課題性に差があることはもうお分かりだと思います。

ここまで説明した交差ひねりとセア倒立をその構造で対照してみると以下のようになります。
・正交差ひねり正交差入れ(A)パターン3
・正交差ひねり逆交差入れ(B) パターン4
・難度なしパターン7
・逆交差ひねり逆交差入れ(A) パターン8
このように交差ひねりではその課題性により難度なし、A難度、B難度と区別されているものが、セア倒立になると一律D難度という設定になっています。

倒立を経過することにより、片足振動で脚部を入れ換えるという交差の課題性はほとんど消失しており、セア倒立においては交差が成立しているかどうかは重要でない、という見方もあるかもしれません。しかし、脚部を入れ換えが起こらない局面では現実として安易な捌きが散見されるのも事実です。

具体的には、逆交差倒立において、振り上げる前に1/4ひねりをして縦向き支持のようになって倒立するような実施がしばしば見受けられます。倒立後に(便宜上この表現を使いますが)正交差入れで下ろす場合も同様で、この動画のような捌き方ができてしまうパターン7などもD難度で認定されることには大きな違和感を覚えるのです。



最後に、ここまでの文中で散々使っておいてなんですが、「交差倒立」という表記についてです。正交差倒立は倒立に上げた時点で脚部が入れ換わるので問題ありませんが、逆交差倒立は倒立した時点では脚部の入れ換えはなく、この表記は適当ではありません。これも英語表記の方が適切で、正交差倒立が” Scissor fwd. w. 1/4t. through hstd.”であるのに対し、逆交差倒立は” Swing bwd. w. 1/4t. through hstd.”となっており、「交差」を意味する” Scissor”を使っていません。

「交差入れ」については、実は日本語版採点規則のセア倒立の表記は「正交差1/4ひねり一把手上倒立経過、下ろして開脚支持」などとなっており使われていません。しかし、そもそも「交差」という表記には振り上げて振り下ろすまでの動きが含まれており、さらに「下ろして開脚支持」と表記するのはおかしいという指摘もあります(1)

参考文献
(1) 仲宗根森敦:あん馬における片足振動から倒立経過する技の実施に関する問題, 研究部報No.114, 日本体操協会 (2015)
(2) 山下芳男:鞍馬における振動系の技の課題性と形態的構造について, 岩手大学教育学部研究年報 (1990)
(3) 渡辺良夫:鞍馬における交差技群に関する構造体系論的研究, スポーツ運動学研究5 (1992)
(4) 金子明友:体操競技のコーチング, 大修館書店 (1974)

この記事へのコメント

  • タージマハル

    興味深い記事ありがとうございます。いつも楽しく勉強させてもらっています。
    運動の複雑さや価値ではなく、倒立に上げることでみんな一緒の、難度を認定しているということなんですね。
    また、技の表記の問題にまで掘り下げていただきありがとうございます。
    個人的に、このような技の構造の記事はとても好きです。
    今後とも体操の本質に切り込む記事をよろしくお願いします。
    2017年03月19日 20:03
  • Ka.Ki.

    タージマハルさん、いつもありがとうございます。

    セア倒立についてはずっと書きたいと思っていたのですが、やっと書けました。不十分な点もあるとは思いますし、もっと分かりやすく書けたのではないかという思いもありますが。

    この手の記事はなかなか書けないかもしれませんが、今後もご覧いただければ幸いです。よろしくお願いします。
    2017年03月19日 23:54
  • ユーマォ

    いつも楽しく拝見しています。
    実は、個人的にあまり好きではない技でした。
    何故なら「振動も旋回もしてない、一度止まる技で、そもそもあん馬の要件から外れるじゃん!」という印象が私の中にあるためです。
    同じ倒立系でもブスナリは有りで、セア倒立は無しなんです。
    しかしながら、振動系の技は必須要件だし、その中でDを取れるのがセア倒立と逆セア倒立ぐらいしか無いから生き残っているのでしようね、というのが私の素直な気持ちです。
    つまり、あんまり良い実施を見たことがないのです。
    私の中の悪い印象を払拭してくれるくらい、スムーズで優雅な実施を見てみたいです。
    2017年03月21日 18:57
  • Ka.Ki.

    いつもご覧いただきありがとうございます。

    必須要件という話については、パターン7のようなセア倒立で、これまであん馬の歴史において常に求められてきた交差の要求が満たされてしまうことがどうなのかという思いもありますね。

    これは参考文献(1)でも指摘されているのですが、セア倒立は2014年の通達で脚を閉じることが要件になって、余計に静止の印象が強くなってしまいました。そんな中、個人的に好きなのは最近のオレグ・ステプコ選手の実施です。脚を閉じた瞬間にすぐ開いて下ろすので、流れが良く感じます。こちらなどいかがでしょうか。

    https://www.youtube.com/watch?v=7r2J0EKQq90
    2017年03月21日 23:31
  • マイコ

    ご指摘のとおり、(7)タイプの捌きだと交差してないですよね。
    自分も違和感を感じていたので好きではない捌きでした。
    しかし今回のルール改正で国内選手が(おそらく)
    (7)タイプでの捌きを強いられることになるのが残念です。

    個人的には本家リーニン選手のセアひねり倒立が
    スイングの流れをつかいながらほぼ静止なしに捌いており
    好きな捌きです。
    参考までに(56分46秒あたりから)
    https://www.youtube.com/watch?v=z8SQieVzt6U
    2017年03月22日 17:37
  • Ka.Ki.

    全くもって仰るとおりで加藤選手もそうですが、先日のDTBの萱選手もパターン7でした。一生懸命ルール改訂に対応している選手の方には本当に申し訳ないのですが、結果としてこの捌きになってしまうのは、ちょっと残念な気持ちがあります。

    動画のご紹介ありがとうございます。やはり本家はさすがですね。このようにスムーズな振動で上げて下ろせるなら、どのパターンでもあまり気にはならないのですが…。
    2017年03月22日 23:36
  • ユーマォ

    あん馬において重要なのは、旋回や振動を止めない事と、力を使わないことですよね。
    そういう意味で、本家本元はさすがだと思える実施ですね。
    一方で、明らかに力を使っている実施が多く見られるのも事実で(この点ブスナリもそうですが)、やっぱり体操として美しくはないですよね。
    また、あん馬としての美しさもですが、倒立としての美しさも重要だと思うので、そういう意味でも良い実施は少ないなぁと感じます。
    国際大会でも「ちゃんと収まってない」倒立が散見される事も、この技を好きになれない理由です。
    2017年03月24日 19:39
  • Ka.Ki.

    あん馬が旋回を基本とする種目であることはこれまでも通達などではっきり示されていますし、今回のルール改訂で交差倒立、旋回倒立を合わせて2回まで(終末技を除く)と制限されたのも、演技中の倒立があん馬という種目の本質ではないということだと思います。

    ブスナリ系もなかなかいい実施が現れないですね…。
    2017年03月25日 21:55
  • 伸身ローチェ

    時々考えるんですけどね、セア倒立から1ポメル上で一回ひねり。これなら静止しない!
    まあ恐ろしく難しそうですが。
    2017年03月26日 00:49
  • Ka.Ki.

    おそろしく難しそうですね…。昔、ウルジカ選手が倒立下りで、とてもきれいなその場450°ひねりを決めていましたが、あんな風にできたらかっこいいでしょうね。
    2017年03月27日 20:12
  • マイコ

    個人的には鞍馬の演技に倒立という要素は非常に独創性をアピールできる点だと思うのです。
    ただ、旋回から倒立を経由するに当たって、スピードが遅くなる(力をつかう)捌きは相当な減点を受けるべきですし、
    セアから倒立を経由するに当たって、静止したり振れ戻る捌きはやはり減点を受けるべきだと思うのです。
    鞍馬はよどみなく静止せず、演技をするのが第一前提ですから。
    アルテモフ選手の旋回倒立が実施されたときの感動は忘れられません。
    このような捌きが一般的になれば鞍馬の倒立のイメージが変わるのですが。。。
    https://www.youtube.com/watch?v=Go_bbW1C2Zs
    2017年03月27日 20:53
  • Ka.Ki.

    アルティメフ選手の実施は素晴らしかったですね。倒立に上げ、ひねって、下ろして旋回とどの局面でも全くよどみがありません。旋回倒立は、現役ですと台湾の李智凱選手が上手いと思います。先日のドーハのワールドカップに出ていたのですが、予選落ちしてしまい残念でした。

    https://www.facebook.com/LearnGymnasticsCode/videos/1392587084132025/
    2017年03月27日 22:02